忍者ブログ
忍びの里に潜むアンドレの巣窟です
Posted by - 2026.04.06,Mon
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by Andy the Soarer - 2009.06.16,Tue
タイプは?
よく聞かれる質問である。
もちろん、blood type = 血液型 を訊いているのではない。
好みの女性のタイプは?ということである。

社交辞令的に、あるいは好奇心から尋ねる者もいようが、
私の孤独を案じて云ってくださる方もおられるようだ。


正直答えにくい質問である。
なにしろ、私に選択権があるような状況ではない。


ただ今日一日を生きる。明日になれば、またその一日をただ生きる。
身も心も朽ち果てた末に、とりあえず生き続ける決心をして都落ちした身である。

生きて待てば海路の日和もあろう。
もともとグライダー乗りは風待ちが宿命である。
いつか戻れる日が来ることを胸に秘めた希望とし、
それが近い日のことではないことを受け入れることで、
私は今日を生き延びている。それが生き恥としか思えないような日々であったとしてもだ。

そのような日々を生き延びている中で、
私は、私に学びたいという生徒達に出会った。
ここ数年は、その学びたい心に応えるべく死力を振り絞って教えている。
NPO的塾という、社会的には不安定な立場であり、
それだけで生活が成り立つ状況ではない。
私にとっての最低限の衣食住が与えられているのは、
それ自体が奇跡的なことだと認めざるを得ない。

己一人の生活をすら成り立たせられない状況であるのだから、
他人の人生に物質的な責任を持つことなどとうてい出来ない日々である。

この状況は修道士のそれに似ているといえなくも無い。
修道士は、戒律により孤独を定められている。
私の場合は、戒律に縛られているわけではないのであるが、
不特定の人のために生きることを優先するあまり、
特定の人の人生を荷えない状況である点で似ている気がする。

このような事情を全て知った上で、
人生の自立を保ちつつ、敢えて、私の人生に交わってみたい
と思うものがいるだろうか?
いるとしても、そのような方に出会える確率は、
天文学的に小さいのが、現実というものであろう。


さらに大問題なのが、私があらゆる面で規格外の存在であることだ。
1度見たら2度と忘れない風体。圧倒的な存在感。いい人。すごい人。
でもしかし、そんな私と連れ立って睦まじく街を歩くとすると、
いかほどの勇気が必要となることか。
そのようなことに構わず私の側に立ちたいと思う者と出会える確率も
これまた天文学的に小さいのが現実であろう。

この二つの確率はそれぞれ独立であり、その積となると、
まさに、ほぼありえないことと結論付けざるを得ない。

好みのタイプなどと言っている場合ではないのである。

私のような化外の者の魂に敢えて触れてみようと思うものがあらば、
目下、物質的に応えるすべは全くないわけであるが、
せめて精神的には至誠の愛をもって応えようと思っている次第である。


ただ、確率をさらに小さくしてしまうことを承知で、
それでも敢えてお願いをさせていただきたいことがある。

どうかデブ専の方は勘弁していただきたい。

私のような風体をタイプとする層がいるのは事実である。

ノンケの世界に限らない。ゲイの世界では一部マニアに
コアな人気があるのだそうだ。
そのような方が集まるエリアに偶然足を踏み入れて、
思わぬ熱視線にビックリさせられたことがあった。
残念ながら、私は至ってヘテロである。少し脱線したか…

そのような方々には、私のような存在自体が癒しとして働くものらしい。
作った料理を、私が嬉々として食べる様を見ると癒されると感じる人もいるらしい。
会食のような場でも、私にどんどん料理を勧めてくださる方がいらっしゃる。
どんどん食べる姿は、豊穣の象徴とでも云うべき効果を発揮するらしい。
そんなことで癒されるというなら、いくらでも食べてあげたいというのも、
私の偽らざる本心の一面ではある。

しかし、嬉しそうに食べる表情とはうらはらに、
押し殺した私の魂は同時に慟哭しているのである。
あまりにも辛いその感情を努めて無視することで、
私は今日を生き延びている。

私はやはりいつか人間に戻りたい。
規格上限ギリギリでいいから、人間の規格内に戻りたい。
それが達成されることが、都に戻る必要条件なのである。
いや、実はそれが十分条件ですらあると言えるのかもしれない。

繰り返しになるが、それが今日明日の事でない現実を私は受け入れている。
受け入れてはいる。が、しかし、一日食べることによって、
また一日、希望は先延ばしを余儀なくされたことも事実なのだ。
そして、それは限りある命の一日がまた終わってしまったことをも意味する。

そのことにいちいち動揺しないようになるまで
心を鈍くすることに成功して、私は生き延びてきたわけではあるが、
デブ専の人と付き合うとなるとさすがに、
この矛盾が噴出してきて耐えがたくなる。
彼女にとっての癒しは、私の魂を引き裂く痛みと引き換えなのだ。
そして、仮に私が健全な肉体を取り戻したなら、彼女にとって私は用済みとなる。
このような関係は、短い間ならともかく、
結局は双方が傷ついて悲劇に終わってしまう。


とはいえ、思いつきで、色々なアイディアをアドバイスしてくださるのも勘弁いただきたい。
そんな半端なことですむなら、人生を棒に振ることもなかったのである。


特に、度重なるチャレンジと失敗によって、私の肝臓は限界を超えてしまっている。
血液検査をすれば、医者が慌てるような状態がもう何年も続いている。
アルコールを飲むようになれば、数年以内に命を落とすとも言われている。

次にチャレンジをして、失敗をしたならば、
もう肝臓は持たないであろう。その時が私の命の尽きるときである。

失敗はもう許されないのである。
次にチャレンジをするときには、本当の命懸けとなる。
確実に成功する見込みがなければ、それにとりかかることはできない。


仮に私の人生に交わろうとするものが現れるとするならば、
私がその者に求めることは、私の日々の諦念を理解し、
私の心底の慟哭に静かに共感し、来るべき日を共に待ち、
いざ、命懸けのチャレンジに決起したときには、
躊躇うことなく協力してくれることである。
そして、ホメオスタシスの悪魔が再び私を囚え、
私が自らの破壊を始めた時には、そのときこそ体を張ってでも止めてほしい。
できる者がいるのだろうか? そのチャレンジの途中で私の命が潰える可能性だってあるのだ。
私が変容を始めたのを見て、愛ゆえにそれを無意識に止めようとしてしまうのは、
本当は自然なことなのかもしれない。
それでも、その感情に打ち克って私を支えてほしい。

このようなことを為し得る者が現れること。
それは結局、ありえないことである。
最初から判っていることである。


「タイプは?」この答えにくい質問に、次も私は
「来る人拒まず、去る人追わず」と答えることだろう。
来る人の1人もいるはずがないことを、とうにわかっていながら。


結局私は、きっと明日も今日と同じように生き続けることだろう。
愛と奇跡の交わる地点を吹く風に、いつの日にか出会えるかもしれない。
その希望と引き換えに孤独を抱きしめながら。 
PR
Posted by Andy the Soarer - 2009.06.02,Tue
自動二輪の免許取得を考えている。

今は音信不通となってしまって消息すら確かめられない友人と、
いつかお互い免許をとってツーリングをしようと語り合った約束を、
たとえ私の方だけでも果たせる状況にしておきたいなという
センチメントがあるのも理由ではあるが、

それよりも今後四輪車を所持・運転するだけでも
困難な時代が来るような予感がすることも大きい。
それは、私の生き様に起因する個人的・経済的な懸念と同時に、
社会的にも、経済構造の変化や、地球環境問題により
そうなるのではないかという懸念を抱いていることが最大の理由である。

また、日々四輪車を運転しながら、私1人の移動のために、
1トン以上もある四輪車を動かす必要は無いとの思いに駆られるし、
実のところ、法律により操縦を許されてない
汎用乗用機械が存在していることが悔しいのも大きな理由だ。

私が免許を取るのであるから、当然普通に教習所に通って免許を取ろうというのでは無い。
運転免許試験場で行われる技能試験(いわゆる一発試験)を受けて取得しようと考えている。
ご承知のように、本来ならば一発試験の方が、正当な免許取得手段なのであり、
教習所を卒業した者は、この技能試験を特別に免除されているというのが、
法律の規定しているところである。

かつて、東京の府中運転免許試験場にていずれも一発試験に合格し、
大型免許と牽引免許を取った私にとって、
二輪車のように単純な機械の操縦を、十万円以上もの大金を払って「習う」
のはどうにもバカバカしくて、その気になれないのである。

もっとも、50cc原付の運転経験と、公道外での二輪車の数少ない試乗経験だけで
いきなり一発試験を一回受ければ合格できると思い込む程、
思い上がっているわけではない。
例えば、毎日1時間1人で集中して、S字や急制動、一本橋の練習を行い、
それを1週間続けてから、一発試験の不合格を数回経験して
やっと合格するだろう。という位の見通しである。
要は、営利企業の教官に手取り足取り教えてもらう必要を
感じていないということである。

陸海空問わず、およそ、まともに設計、販売された乗用機械であれば、
どのようなものであっても、少しの慣熟で乗りこなしてみせる自信が、私にはある。

このような自信を持つにいたったのは、
学生の頃、数少なく、そして短い搭乗機会に極限まで集中して
技量を向上させなければならなかった、航空機操縦経験のおかげでもあるし、
ユーラシア大陸中央部の騎馬民族にルーツの一端を持つらしい私の、
天賦のおかげでもあると思っている。


私の体格を考慮すると、小型二輪では小さすぎてかえって安定しないだろうから、
少なくとも取得するのは普通二輪免許である。
大型二輪でも技術的な問題は特に生じないはずであるが、
誇り高き白バイ隊員上がりの試験官は、制度上認められているはずの
いきなりの大型二輪取得をかなり嫌っていて採点が一層辛くなるそうで、
そこは考えどころである。

問題は、東京など大都会には、そのような場が存在するようであるが、
私の棲む忍びの里には、1人で二輪車の操縦を練習できる環境が無いことである。
いわゆる、非公認教習所は存在しないし、
自宅敷地内に舗装された広場があり、バイクを貸して練習させてくれるお金持ち、
などという都合のよい友人も、もちろんいない。

実は、それよりもさらに大きな問題がある。
私の体格に合った、ライディング・ギアつまりバイク用の装備の入手が困難であることだ。
頭部周囲64センチ。脚のサイズ30センチで甲高。グローブの様だとも形容される手。
これを包むことができるギアは、日本にはほとんど存在しないように思われる。
少なくとも、ここ忍びの里では全く販売されていない。
しかし、それになりに使い込み、様になったライディング・ギアを身に着けていないと、
これも、誇り高き白バイ隊員上がりの試験官が採点を辛くするということがあるそうである。
それに、一旦入手すれば、当面私の体と命を守ってくれることになる装備に、
無理やりねじ込み、叩きこまなければまなければならないような物を選びたくはないし、
あやしげな海外通販で入手することにも躊躇いを覚える。

例えば、米軍キャンプ内のハーレーショップのようなところ
(そのような場所があるのであろうか?)に入れてもらうとか、
サイパンに買出しに行くとか、そういうことでもしないといけないのだろうか?

今のところ、ギアの入手が困難であること、そして、ギアの入手の費用の方が、
免許取得そのものにかかる費用を上回ってしまいそうなことが、
まず超えなければならない課題となっている。


相談できる、バイクに詳しい友人がいないのも、残念なところである。
このブログをお読みになった方に詳しい方がいらっしゃるならば、
ぜひ一言でもアドバイスを頂きたい次第である。

Posted by Andy the Soarer - 2009.05.31,Sun
青年団という劇団がある。ごく数回しかその公演を観る機会に恵まれていないので、
何かを語れるというわけでもないが、古い友人が団員をしていることもあって、
今後このブログで触れることが何度かあろうと思う。

ご存知の方も多いとは思うが、その演劇のスタイルは現代口語演劇というものらしい。
とにかく、登場する俳優は舞台上で普通に喋るのである。
演劇と聞いて一般人が想像するようなあの発声ではなく、普通に喋るのである。
もっとも、本当に普通に喋っているだけでは、観客には何も伝わらないはずなので、
あの喋りは、実は凄まじい修行の果てに、
一切の無駄を削ぎ落とした、究極の演技なのではないかと思っている。

「至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし。」
という言葉があるのだそうだが、これを借りれば、
「至演は演ずることなし」というところであるのかもしれない。

最初に青年団の公演を観たのは、「冒険王」であったが、
恥ずかしながらそのようなスタイルの演劇があることを全く知らなかったこともあって、
私にとっては衝撃的な体験であった。

三重県文化会館の大きなホールの舞台上にひな壇状に仮設の観客席を作って、
その分狭くなった舞台上で劇が繰り広げられるスタイルであった。

私は満員の観客席の類が苦手である。
というのも、横幅のある私の隣に座る羽目になった方々が、
その不運をきっと嘆いていることだろうと気になっていたたまれず、
逃げ出したい衝動に駆られるのである。

その日の公演も満員で、着席するなり逃げ出す衝動と戦っていたのであるが、
数分もするとその衝動は跡形もなく消え去っていた。

正直に告白すると、劇の具体的な内容を私はほとんど覚えていないし、
友人の役どころがどんなものであったのかすら、正確には覚えていない。

しかしながら、私の頭の中には、
私はある時、トルコのイスタンブールのバックパッカーが集う安宿に滞在し、
そこで出会った者たちと、とりとめも無いことを時間を忘れて語り合ったたことがある。
そう、たとえば、こう旅を重ねてしまうと社会復帰は難しいよね。といったことを。
という限りなくリアルな記憶が刻み込まれているのである。

それくらい、私はその演劇空間に取り込まれてしまった。
あまりにも没入してしまったため、私もがその場に滞在しているような気になってきて、
舞台上の俳優に話しかけそうになってしまい、すんでのところであわてて飲み込んだ記憶がある

その時の没入感覚を終劇後に振り返ったとき、
まさにこれが現代口語演劇の凄まじさなんだとつくづく思わされて衝撃を受けたのである。


もう一つ、「隣にいても一人」という戯曲にも触れておこう。
この戯曲は、設定が実に興味深く、強烈な印象が残っている。
とはいっても、これがどんな戯曲であったのか、今まで何人かにその設定を
口頭で説明してみようと試みたのであるが、ことごとく失敗してしまっている。
今も、これをわかりやすく書く自信がない。

それでもあえて、わかりやすく説明することを放棄し、自分なりに簡潔にまとめて見ると、


ある人とある人が結婚をすると、それぞれのクオリア上でお互いを配偶者と認識するようになるものであるが、そもそも、クオリア上でお互いを配偶者と認識しさえすれば、2人にとって2人が現実に結婚しているか否かの区別はつかなくなり、そもそも問題ですらなくなってしまうのではないか。つまり、結婚の本質とは、クオリア上での認識如何によって左右されるものではないのか? という問いを観客に投げかけて揺さぶる。
という哲学的エンターテインメントである。


といったところであろうか。それにしても、この問いは思いのほか深いものであるように思う。
いずれこのブログでも取り上げて考えてみたいテーマである。


私が潜む忍びの里では、演劇が行われることはほとんどない。
演劇に限らず、およそ文化という物が存在しない町である。
まともな演劇を観ようと思えば、大阪や津等、他所の町へと1時間以上かけて出かけていかなければならない。
そのような状況でたまに演劇を鑑賞しても、演劇を真に文化として人生に取り込むことはできないのかもしれない。
演劇について私が語れることは多くは無いであろう。
しかし、少ない機会ではあっても末永く学び続けたいテーマの一つではある。

あるいは、教えるということも広義では演じることであると言えるかもしれない。
機会があれば、また何か書いてみたいと思う。 
Posted by Andy the Soarer - 2009.05.30,Sat
私は比較的水泳が得意である。競いで泳げるほどではない。
のんびりと泳ぐだけではあるが、いつまでも泳いでいられるし、四泳法とも形だけはできる。

子供の頃、素潜りも大好きであった。両親に海に連れて行ってもらったときには
いろいろ工夫して海底を探検したものである。10mも潜れば、水面に浮上するまでに時間がかかる。
その時間分を計算して、まだ息の続くうちに海底を離れて浮上しなければならない。
命を懸けながら帰投判断を繰り返すことで身に着けた感覚は、
後にグライダーで滑空場へと帰投する高度判断の際にも生かされているような気もする。


その日私は、名張市夏見にある市民プールの大プールを泳いでいた。
ときに水面をのんびりと泳いだり、時に潜水しながら水中を突進したり。
気ままに、小学生の夏休みを満喫していた。

ふ、と何かに目にが止まった。
競泳もできるプールの足のつかない中央部の底に少年がいた。
彼はまさに、「orz」のAAの姿勢そのままに、プールの底でじっとしていたのである。

プールの水面には沢山の人が縦横無尽に泳ぎ回っているので、
波も立ち、プールの中のことは、思いのほか見通せないものである。
それに、私は素潜りの経験から、水底にじっと静止する事が難しいことを知っていた。
「泳ぐ」ことによって、推力を出して水底を移動することは簡単なのだが、
人間は水に浮くものなので、静止しようとするとたちまち体が浮かび上がってしまう。
ただ方法が無いわけではない。息を八割がた吐き出して、肺を小さくすると、
体が水より重たくなって水底に留まることができるのである。
当然、肺の中に空気がほとんど残っていないので、苦しい遊びとなる。

この状況と経験から、小学5年生だった私の頭は、
「この子『水中かくれんぼ』をしてるんだな。」
と判断したのだった。笑うなかれ。責めるなかれ。本気でそう思ったのである。

会ったことも見たこともない少年だったから、そのまま通り過ぎてもよかったのだろうが、
ADHD的な性格で余計なことばかり思いついては衝動的な行動に走る傾向があった私は
「邪魔してやれ」と思いついてしまった。思いついたら即座に行動に移す。

頑張って水底に張り付いてかくれんぼをしている、見も知らない少年にいたずらをする。
私は、その orz の姿勢の脇腹をそっとつま先で押してみた。

反応が無い。何の反応も無いのである。
「なんて意志の強いやつなんだろう」「見知らぬ俺なんて無視か」
そんなことを思ったのだが、反応が無かったのが悔しかったのか、
今度はもう少し力を入れて蹴ってみたのである。

フワァー
口から空気が漏れるでもなく、orzの姿勢のまま少年の体が
スローモーションのように静かに右に傾き、
フワァー
スローモーションのように静かに元に戻った。
その間、少年の目がはっきりと私には見えた。

私を睨むわけでもなく、私を無視する強い意思を見せるわけではなく、
その目は全く生気を失っていた。
少年は意志が強いのではなかった。既に体を動かす意志も意識も失っていたのである。


溺れてる!!!!!


そこから私の体は、何をすればいいのか、ほぼ考えることなく行動していたように思う。
まず水面に浮上して、思いっきり息を継ぎ、
再び水中に潜って少年に背後から抱きつく。
プールの底を蹴って、一気に水面に飛び出し、少年の顔を空中に保つ。
左腕で少年の首を引き、右腕で背泳ぎ。
たちまちプールサイドは目の前に近づいた。

異変にようやく気付いた監視員が飛んできて声をかけてきた。
「その子どうしたの?」
「溺れてるの〜!!」

監視員の手が伸びて、少年を引き継ぐ。
たちまち人工呼吸が始められた。

あまりの展開の速さに、あとは呆然と見守るしかなかった。
最初は水中で。いつしかプールサイドに上がって。

「ええ〜ん。ええ〜ん。」
突然少年は猛然と声を上げて泣き始めた。
大人たちの緊張した表情がみるみる緩んだ。

少年がなぜ泣いているのか私には判らず混乱していた。
小学校高学年に見える男の子である。
はぁはぁぜぃぜぃ言って、
「死ぬかと思ったぁ〜」等としゃべり始めるくらいのことを想像していたからである。

それでも正直なところ、あっさりと少年が息を吹き返したので、
そのときは、なんだたいした事ないんだな。位に思ったものである。
少年のけたたましい鳴き声に気おされるようにして、いつしか私はその場を
フェードアウトしていた。

その後、別のプールで泳いだのか、すぐに着替えたのか。記憶がないのであるが、
着替え終わって、更衣室のある建物を玄関から出ようとしたとき、
事務所に警察官が来ていて、事情聴取を行っているのを見かけた。

「僕が見つけて引き上げました」
名乗り出ようかとも思った。
しかし、現場を離れた私がいまさら言うのも、
なんだか気が引けてその気になれず、私はそのまま黙って家に帰っていった。

後から冷静になって振り返れば、
私が見つけた時点で少年は溺れてからかなり長く経っていたように思う。
AEDなんて全く無い時代に、人工呼吸だけでよく息を吹き返したものである。
大人と比べれば、子供はやや窒息に強いという要素もあろう。
しかし、私が引き上げたタイミングがまさに限界ギリギリだった可能性も高い。

もし、私がそこを通過しなければ。
もし、私が少年にいたずら心をおこさなければ。
もし、私が怖くなって逃げ出していれば。
もし、私が自分で引き上げずに監視員を呼びに行っていれば。

きっと少年の命の炎はそのまま静かに消えてしまっていたことであろう。

もちろん、大人の視点からみれば、
orzの姿勢で青白い子供が水底にいる状況を見れば、すぐに溺水に気付くべきであろう。

しかし、目の前で死亡事故がおきかけるという非日常が展開するということは、
普通、小学生の日常の想像力の及ばないところであるから無理も無いと思う。

とにかく、私以外の者は監視員も含めて誰も水中に意識を向けてすらいなかったのである。

現場からフェードアウトしてしまったので、その少年がどこの誰で、その後どうなったのか。
例えば、二次溺水のような合併症も起こすことなく、後遺症もなく回復したのか。
私にはわからない。

しかしあの元気な泣きかたを思うと、きっと無事に回復して、何事もなく成長したに違いない。
今頃、たくさんの出会いを経験して、人に影響を及ぼし、あるいは恋をし、
あるいは、子供が産まれて成長している頃かもしれない。

私がそこに存在して、彼の命をすくいとめ、
私にしかできなかった役割を果たして、彼に再び命を戻した。
その影響は今どこまで広がっているのだろうか。
きっといい影響であって欲しいなと、願わずにはいられない。


とるにたりない私の存在が、間違いなく社会と歴史を少しだけ変えた1980年代半ばの小学生の夏の思い出である。
Posted by Andy the Soarer - 2009.05.30,Sat
「置いていかれた。」
全ての思考はその一言に占められていた。

「置いていかれた。なら、追わなくちゃ。」
次の瞬間、なぜか条件反射的に脳が結論を出していた。

一際美しかった気がするその年の東京の桜は既に散って久しかったが、
初夏にはまだ遠い、かすかに肌寒い豊田駅前の朝であった。

実のところ、その朝の待ち合わせに行こうか行くまいか、
私は一晩考えあぐねていた。行った場合と、行かなかった場合では人生が全く違うことになる。
まさに、人生の岐路に私は立っていた。

実のところ、その頃私はまだ飛ぶことが怖かった。

確かに、飛ぶことは爽快であった。
かつて河豚を食して、「その味、一死に値す」と言った美食家がいると聞くが、
一死、いや、万死にも値する感動だなと、体験飛行の時には思ったものだった。

飛行教官から、ためしに操縦桿を操作させてもらった際には、
たちまち、機体が意のままに手足のように動いて、その感覚が私を虜にしていた。

しかし、やはり飛べば、いつかは堕ちて死ぬような予感もしていたのだ。
そうなっても本当にいいのだろうかと、本気で躊躇いを覚えていたのである。

それに、たとえ堕ちなくても、いったん「飛ぶ人生」に染まってってまえば、
二度と真人間には戻れぬ予感も強かった。

宇宙機を飛ばすという当初の夢は、入ってみた大学の現実を前にすでに幻滅しつつあったが、
私に飛ぶための天賦があるという確信も、その時にはまだなかったのである。

地上にあっては、生来優柔不断な私は、とにかく、朝まで結論を出せなかったのだった。

とりあえず、行く約束はしていた。
約束である以上、アパートを出て、駅前には行かなければならないような気もした。
しかし、本当にその駅前に集合した先輩や同期達の輪の中に入るのか否か。

結論を先延ばしにして、
とにかく、路地裏からこっそりとその輪を眺めてみよう。
それから決めたらいいじゃないかと、
覚えたての裏路地から駅前に向かってみたのだった。


誰もいなかった。
当然である。たどり着いた時には、既に約束の時間から20分以上は経っていたのだった。
携帯電話の実物を目にしたこともなく、ポケベル文化の予兆すらなかった時代である。
待ち合わせ場所に来ない者がいると、いつまでも待つか、あきらめて置いていくしかない時代であった。


「追わなくちゃ」
一晩眠れず、ぼんやりとしていた私の思考は
その不合理な一念で占められてしまっていた。

確かに、一人暮らしをはじめたばかりで、とりたてて何の予定も無く、
孤独と暇をもてあますはずであった、新入生の土曜日であったことも事実である。

しかし、集合した後、先輩に引率してもらうことになっていたのであるから、
皆がどこへ行ったかなど、皆目検討がつくはずもないはずなのであった。

広大な首都圏の西のはずれである、日野市の豊田駅。
「とりあえず東京へ行こう」
そう思って券売機の上に掲げられた大きな地図を見た。

「浜松町」

ふと、覚えのある駅名が目に入った。
確か浜松町という地名を、先輩が口にしていたような気がした。
ならば、とりあえず、浜松町に行ってみるか。行って誰もいなかったら、それまでだ。

中学、高校と毎日往復3時間の電車通学をしていた私にとって、電車での移動は慣れたものであった。
切符を買って、中央線に乗り込んだ私は、寝不足もあってか
たちまち眠り込んだようである、小一時間かかる東京駅にはあっという間に到着したのだった。
さらに山手線に乗り換えて南へ3駅。


誰もいなかった。ホームにも、改札口にも。
当然である。


とりあえず、改札を出てはみたものの、行く当てもなく私は彷徨い始めた。
ビル・ビル・ビル。ここは東京である。ひたすらビルが並んでいる。
30分は歩いただろうか。こんなにビルばかりが並んでていては、
偶然目的地に行き当たるはずも無い。
そもそも、私は目的地の場所はおろか、その名称すら知らなかったのである。

自分のバカさ加減にいいかげんうんざりして、
足はいつしか駅の方へと向いていたのであった。

ふと見上げると、目の前にひときわ巨大なビルがあった。
看板が目に入る。「ワールドトレードセンター」

ん?
「ワールドトレードセンター」

「東京にもワールドトレードセンターがあるのか…」

その年の2月の末、ニューヨークにあるワールドトレードセンタービルが
自動車爆弾によるテロ攻撃を受けていたことは記憶に新しかった。
しかし、同じ名前のビルが東京にもあるとは、全く知らないことであった。

「ワールドトレードセンター」ニュースで何回も耳にしたことのある名前。
その名前を冠したビルが目の前にある。それは、なんとも奇妙な感覚であった。
「屋上にでも行ってみるか。」
なんとなく吸い込まれるように、私はその40階建ての高層ビルの中に入って、
ちょうど到着した上りのエレベーターに乗り組んでみた。

ふと目の前を見ると、案内板に「クリニック」と書いてある。

私は、今日の集合目的が、正式な飛行訓練に先立って、
飛行に耐えられるかを調べる身体検査であったとをぼんやりと思い出していた。

航空部に入部するかどうか決めていなくてもいいから、
とりあえず法定の身体検査を受けろ。決めるのはそれからでいい。
そういうことになっていて、新入部員候補に召集がかかっていたのだ。

「そういえば、今日は新入部員候補が身体検査を受けるはずだったんだな。」
「まったく、なんでこんなところに俺はいるんだろう。」
「それにしても、東京では、こんなビルの中にも病院があるものなのか。」

意味不明な一日を過ごしている自分をなかば嘲りつつ、
それは、ほんの些細な好奇心だったのかもしれない。私の手が14階のボタンに触れた。

たちまちエレベーターは到着し、扉が開いた。

「あーーーーーーーーーーーーっ!!! アンドレ!」

見覚えのある先輩の顔が目の前に現れた。
気だるい彷徨は、たちまち鮮やかな驚愕によって終わりを迎えたのだった。

「アンドレ、待ったんだよ。でもクリニックの予約の時間があったからさ。おいていくしかなかった。」
「でも、ここを知っていたの?よくわかったね。」
先輩の、驚きとも喜びともつかない顔が矢継ぎ早に問いかけてくる。

「いや… 知らなかったです。」
「…」
「偶然…。なんとなくここに…入ってみ…た…」

私は、このクリニックの名前も場所も、
それどころか、ワールドトレードセンターが東京にあることも、全く知らなかったのである。
ただ浜松町という名前になんとなく聞き覚えがあっただけであった。


はてしなく広い東京の、とあるビル。
なんのために東京に出て来たのかも、もはや忘れ果てた末に、無目的に立ち寄った高層ビル。
何気なく降りてみたエレベーター。そこが、まぎれもなく今日の目的的だったのである。

こんな偶然があるものなのか。

つつがなく身体検査を受け終えた私達新入部員は、
先輩に連れられて、徒歩で東京の真ん中へと繰り出した。
東京タワーの側を通り過ぎ、いつしか一行は六本木にたどりついた。

昼食を取りに入ったのは、確かハードロックカフェだったような記憶がある。
そこは、六本木らしい刺激的で楽しい場所であったはずだ。
しかし、談笑する皆を眺めながら、
私は疲労と驚愕の余韻がないまぜになった頭で、一人黙って考え込んでいた。

「これが、私の天命なのか…」

認めたくない自分もいた。
今朝方は、おおいに戸惑い、恐怖し、逡巡していたのだ。
しかし、この偶然はどうだ。あまりにもできすぎている。
まるで、逃れるすべのない必然であったかのようではないか。

「天命なら受けるしかない。」
「しかし、今日、本当に天命に出会ってしまったというのか。」
「これが本当に天命なのか、もう、飛びながら確かめるしかない。」

いつしか私の心は正式入部で固まっていった。

店を出てさらに歩を西へと進めたた一行は、
30分程歩いて、渋谷駅にたどり着いた。

電車に乗って一周すると60分程度かかる東京の山手線であるが、
徒歩で山手線内を東西に移動しても、1時間強で横断できる。
これも初めて知ったことであった。

東京が大きいのか小さいのか。ますますわからなくなった。

プロフィール
HN: Andy the Soarer
都落ちし、忍びの里に蟄居して以来十余年。運命に導かれるようにして私に学びたいという生徒が次第に集まり、英語や数学等を懸命に教える日々をすごしている。最近、知る喜びを与え、学びたい気持ちを励まし、学びたいことを学ばせ、教えたいことを教えることが、実はこの国では「禁じられた遊び」にあたるのではないかと苦悩することがある。
最新コメント
最新トラックバック
カレンダー
03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カウンター
バーコード
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
忍者ブログ [PR]