忍びの里に潜むアンドレの巣窟です
Posted by Andy the Soarer - 2009.07.22,Wed
日本時間で2009年7月22日は、
日本の島嶼部を含めたアジアの広い範囲で皆既日食が発生する日であった。
私自身は、この日に皆既日食が発生することを10年以上前から知っており、
この日に、皆既日食となる屋久島あるいは、トカラ列島から観測することを
夢見てきたのであったが、去年の夏あたりにはそれが難しいことを
認めざるをえなくなっていた。
なにより、去年の夏を過ぎても、今年の7月のスケジュールの
展望が全く開けず、一方で、それらの島々へ渡る交通手段等は
早々に満席になってしまっていたのであった。
ところで、
2009年はエルニーニョの夏となりそうな気配である。
梅雨はいつ明けるともしれず、天候不順な夏の予感が漂っている。
7月22日も、日本列島は広範囲で曇りや雨に見舞われ、
日食観測には全く向かない最悪の日となってしまった。
トカラ列島は活発な梅雨前線の真下にあり、
暴風雨といってもいい状況に見舞われたようである。
私が住む忍びの里では、食分0.8強程度の部分日食が予想されていたが、
朝から曇っていて肉眼で何かが見えるような予感のする状況ではなく、
私は、すっかりテレビ観測を決め込んでいたのである。
こういう状況であったので、その瞬間になるまで、
この日食にあまり多くのことを期待してはいなかったのであるが、
予想外に多くのことを体験し、考えることができるものとなった。
このブログに書き留めておこうと思う。
なにより今回の日食で凄かったのは、NHKの硫黄島からの生中継であろう。
これは、天文現象の生中継としては歴史上最高、
いやテレビの生中継としても史上最高クラスのものであったように思う。
それに輪をかけて快挙であったのは、NHKがその映像を
即日でYoutubeに投稿したことである。
この感動はにわかには筆舌に尽くしがたい。
今宵は一旦ここで筆を置くこととするが、
その動画をまだご覧になっていないかたはぜひ、ご堪能いただきたい。
(つづく)
46年ぶりの皆既日食・硫黄島
日本の島嶼部を含めたアジアの広い範囲で皆既日食が発生する日であった。
私自身は、この日に皆既日食が発生することを10年以上前から知っており、
この日に、皆既日食となる屋久島あるいは、トカラ列島から観測することを
夢見てきたのであったが、去年の夏あたりにはそれが難しいことを
認めざるをえなくなっていた。
なにより、去年の夏を過ぎても、今年の7月のスケジュールの
展望が全く開けず、一方で、それらの島々へ渡る交通手段等は
早々に満席になってしまっていたのであった。
ところで、
2009年はエルニーニョの夏となりそうな気配である。
梅雨はいつ明けるともしれず、天候不順な夏の予感が漂っている。
7月22日も、日本列島は広範囲で曇りや雨に見舞われ、
日食観測には全く向かない最悪の日となってしまった。
トカラ列島は活発な梅雨前線の真下にあり、
暴風雨といってもいい状況に見舞われたようである。
私が住む忍びの里では、食分0.8強程度の部分日食が予想されていたが、
朝から曇っていて肉眼で何かが見えるような予感のする状況ではなく、
私は、すっかりテレビ観測を決め込んでいたのである。
こういう状況であったので、その瞬間になるまで、
この日食にあまり多くのことを期待してはいなかったのであるが、
予想外に多くのことを体験し、考えることができるものとなった。
このブログに書き留めておこうと思う。
なにより今回の日食で凄かったのは、NHKの硫黄島からの生中継であろう。
これは、天文現象の生中継としては歴史上最高、
いやテレビの生中継としても史上最高クラスのものであったように思う。
それに輪をかけて快挙であったのは、NHKがその映像を
即日でYoutubeに投稿したことである。
この感動はにわかには筆舌に尽くしがたい。
今宵は一旦ここで筆を置くこととするが、
その動画をまだご覧になっていないかたはぜひ、ご堪能いただきたい。
(つづく)
46年ぶりの皆既日食・硫黄島
| このエントリーは、まだ書きかけです。後日もう一度読んでいただければ幸いです。 |
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Posted by Andy the Soarer - 2009.07.03,Fri
英語は簡単である。
1. まず、なにはともあれ主語を言う。
2. 次に、動詞を言う。
3. 最後に、残りを言う。
これで文章が完成する。
今回は、3.の「残り」の部分に注目してみよう。
「残り」の部分をどうするかについては、
2.の動詞に何を使ったのか、そして、
その動詞を使って何を言いたいのか、
によって大きく左右される。
かなり多くの動詞が、
動詞を言い終わったら、間髪入れずに
「動詞の対象」を言えばいいことになっている。
この対象のことを、英語では"object"と言う。
次の3つの例文を見て欲しい。
(1) I met Tom.
(2) I like Tom.
(3) I love Tom.
これ以上なく簡単な英文である。
(1) "I" は "meet" した。 "meet"した対象は"Tom"。
(2) "I" は "like" している。"like"の対象は"Tom"。
(3) "I" は "love" している。"love"の対象は"Tom"。
ところが、これを日本語に訳してみると…
(1) 私はトムに会った。
(2) 私はトムが好きだ。
(3) 私はトムを愛している。
おわかりいただけるだろうか。難しいのは日本語の方である。
動詞を最後に言うという点についてはさておいても、
とにかく難しいのは助詞の選択である。
「会う」のは、トム「に」である。
「私はトムと会った」でも問題ない。しかし、
「私はトムが会った」「私はトムを会った」ではとても変だ。
「好き」には、「トムが」とくる。
「私はトムを好きだ」はどうであろうか。微妙である。そして、
「私はトムに好きだ」「私はトムと好きだ」では話にならない。
「愛している」のは、「トムを」である。
「私はトムに愛している」「私はトムと愛している」では話にならない。
「私はトムが愛している。」は通じるとしても、意味が全く違う。
標準日本語の母語話者にとって、この助詞の選択は極めて自然なことである。
ただ、不思議なのは、なぜその助詞を選択するのか、について、
ほとんどの者が理解をしておらず、合理的な説明をできないということだ。
正直に言うと、私自身も全く判らない。
つまり、
I met Tom. I like Tom. I love Tom. を
「トムに」「トムが」「トムを」と訳し分けるのに、
合理的な説明などいらないのである。
逆に言えば、
「トムに」「トムが」「トムを」をどう訳すのか?
と考える必要はないし、考えてはいけないということになる。
「私はトムを愛している。」を訳すなら、
"I" はどうしている? "love" している。"love"の対象は"Tom"。
という風に、言いたいことを捕らえなおしてから、
ただ、その順番に単語を言えばいいだけなのだ。
確かに、この「捕らえなおし」の作業ができるようになるということは、
「英語を身につける」ということそのものの一部であり、
日本語話者にとって、困難を伴う過程ではある。
しかし恐れることはない。3歳児にだってできることなのだ。
13歳にだって、きっと23歳にだって、たぶん33歳にだってできることである。
ただ、この簡単なはずの英語を説明するにあたって、
日本の英語教育界に重大な障壁が横たわっていることに触れておかねばならない。
"I" はどうしている? "love" している。"love"の対象は"Tom"。
この、「"love"の対象は"Tom"」の"Tom"ように、動詞の対象となる語のことを
英語では、"object"という用語で呼んでいる。
頭文字をとって、「O」と呼ばれることも多い。
この"object"は、日本語では「目的語」と訳すことになっている。
つまり、『I love Tom. の "Tom" は、「目的語」だ』と
日本語では説明することになっている。
英語との付き合いが長くなって、この用語に違和感を持たなくなっている方も
おられるかもしれないが、今一度考えて欲しい。
"object"という用語の日本語訳が、「目的語」なのはおかしくないだろうか?
"I love Tom."
愛する「目的」は "Tom" なのだろうか?
なかなか哲学的な問いである。
そうだとも言える気がするし、そうではないと言えるような気もする。
"I met Tom." ならどうだろう。
確かに、親密になった後のデートでなら、Tomが目的の場合もあろう。
しかし、最初の出会いから、Tomが目的であったとは限らないだろう。
むしろ、その瞬間まで、そこに出会いがあるという予感すらなかったような
おもいがけぬ出会いであればこそ、
恋の花も咲こうというものではないか。
"I know John."という文章なら、なおはっきりする。
「私はジョンを知っている。」
明らかにこの場合、「ジョン」は "know" の "object" ではあっても、
「目的」ではない。
おわかりいただけたであろうか。
「目的語」は動詞の「目的」ではないのである。
いったい、いつ、いかなる人物が"object"を「目的語」と訳したのだろうか。
その人物のツラを拝見してみたいものである。
いったい、幾百万の心ある少年少女たちが、
この「目的語」という語の語感に惑わされて挫折してきたことだろうか。
(つづく)
1. まず、なにはともあれ主語を言う。
2. 次に、動詞を言う。
3. 最後に、残りを言う。
これで文章が完成する。
今回は、3.の「残り」の部分に注目してみよう。
「残り」の部分をどうするかについては、
2.の動詞に何を使ったのか、そして、
その動詞を使って何を言いたいのか、
によって大きく左右される。
かなり多くの動詞が、
動詞を言い終わったら、間髪入れずに
「動詞の対象」を言えばいいことになっている。
この対象のことを、英語では"object"と言う。
次の3つの例文を見て欲しい。
(1) I met Tom.
(2) I like Tom.
(3) I love Tom.
これ以上なく簡単な英文である。
(1) "I" は "meet" した。 "meet"した対象は"Tom"。
(2) "I" は "like" している。"like"の対象は"Tom"。
(3) "I" は "love" している。"love"の対象は"Tom"。
ところが、これを日本語に訳してみると…
(1) 私はトムに会った。
(2) 私はトムが好きだ。
(3) 私はトムを愛している。
おわかりいただけるだろうか。難しいのは日本語の方である。
動詞を最後に言うという点についてはさておいても、
とにかく難しいのは助詞の選択である。
「会う」のは、トム「に」である。
「私はトムと会った」でも問題ない。しかし、
「私はトムが会った」「私はトムを会った」ではとても変だ。
「好き」には、「トムが」とくる。
「私はトムを好きだ」はどうであろうか。微妙である。そして、
「私はトムに好きだ」「私はトムと好きだ」では話にならない。
「愛している」のは、「トムを」である。
「私はトムに愛している」「私はトムと愛している」では話にならない。
「私はトムが愛している。」は通じるとしても、意味が全く違う。
標準日本語の母語話者にとって、この助詞の選択は極めて自然なことである。
ただ、不思議なのは、なぜその助詞を選択するのか、について、
ほとんどの者が理解をしておらず、合理的な説明をできないということだ。
正直に言うと、私自身も全く判らない。
つまり、
I met Tom. I like Tom. I love Tom. を
「トムに」「トムが」「トムを」と訳し分けるのに、
合理的な説明などいらないのである。
逆に言えば、
「トムに」「トムが」「トムを」をどう訳すのか?
と考える必要はないし、考えてはいけないということになる。
「私はトムを愛している。」を訳すなら、
"I" はどうしている? "love" している。"love"の対象は"Tom"。
という風に、言いたいことを捕らえなおしてから、
ただ、その順番に単語を言えばいいだけなのだ。
確かに、この「捕らえなおし」の作業ができるようになるということは、
「英語を身につける」ということそのものの一部であり、
日本語話者にとって、困難を伴う過程ではある。
しかし恐れることはない。3歳児にだってできることなのだ。
13歳にだって、きっと23歳にだって、たぶん33歳にだってできることである。
ただ、この簡単なはずの英語を説明するにあたって、
日本の英語教育界に重大な障壁が横たわっていることに触れておかねばならない。
"I" はどうしている? "love" している。"love"の対象は"Tom"。
この、「"love"の対象は"Tom"」の"Tom"ように、動詞の対象となる語のことを
英語では、"object"という用語で呼んでいる。
頭文字をとって、「O」と呼ばれることも多い。
この"object"は、日本語では「目的語」と訳すことになっている。
つまり、『I love Tom. の "Tom" は、「目的語」だ』と
日本語では説明することになっている。
英語との付き合いが長くなって、この用語に違和感を持たなくなっている方も
おられるかもしれないが、今一度考えて欲しい。
"object"という用語の日本語訳が、「目的語」なのはおかしくないだろうか?
"I love Tom."
愛する「目的」は "Tom" なのだろうか?
なかなか哲学的な問いである。
そうだとも言える気がするし、そうではないと言えるような気もする。
"I met Tom." ならどうだろう。
確かに、親密になった後のデートでなら、Tomが目的の場合もあろう。
しかし、最初の出会いから、Tomが目的であったとは限らないだろう。
むしろ、その瞬間まで、そこに出会いがあるという予感すらなかったような
おもいがけぬ出会いであればこそ、
恋の花も咲こうというものではないか。
"I know John."という文章なら、なおはっきりする。
「私はジョンを知っている。」
明らかにこの場合、「ジョン」は "know" の "object" ではあっても、
「目的」ではない。
おわかりいただけたであろうか。
「目的語」は動詞の「目的」ではないのである。
いったい、いつ、いかなる人物が"object"を「目的語」と訳したのだろうか。
その人物のツラを拝見してみたいものである。
いったい、幾百万の心ある少年少女たちが、
この「目的語」という語の語感に惑わされて挫折してきたことだろうか。
(つづく)
Posted by Andy the Soarer - 2009.06.30,Tue
敢えてはっきりと言っておこう。
「英語は簡単である。」
こう断言すると、ほとんどの人は、
そんなぁ…と戸惑われる。
しかし断言する根拠はある。
英語圏で育てば、わずか4、5歳のちっちゃな子供が
ペラペラと英語を話しているではないか。
数学と比べれば判りやすい。
数学は難しいのである。高校で習う数学は、
世界中どこでも、高校生位にならなければ理解できない。
もちろんガロア級の天才なら、10歳で身につく場合もあるだろうが、
それはあくまでもごく少数の例外である。
しかし、英語圏で育てば、生粋の日本人の父母から生まれた子供であったとしても、
ごく普通に、幼児期に英語がしゃべれるようになる。
英語圏で育った6歳児が
「嗚呼、英語がしゃべれたらなぁ」
などと嘆くことは無いのである。
これは、なにも先進国に限ったことではない。
インドやアフリカなどの発展途上国でも、
色々な事情で、小学校を出るか出ないか位で勉強を終えて、
働くしかなかった若者の中にも、自信たっぷりに
ペラペラと英語を話す者がいる。
そんな者達の英語を聞いていて、
何を言いたいのかよく判らないときがあると思う。
そんな時、日本人的に「ああ、私は英語が出来ない。」
と、諦めてはいけない。
よくよく聞いていると、その者達の英語は、
文法は適当な上に、発音は訛りがいっぱい。
しかも、知らない語彙があると、他の言語の単語を
ポンポン混ぜるのである。
そんな英語を話していながら、その者達は臆することなく、
胸を張って、"I can speak English." と言うのである。
「嗚呼、英語がしゃべれたらなぁ」
などと、こちらが嘆いている場合では無いのである。
高校を普通に卒業したての日本人の方がよっぽど、
正しい英語を知っている位なのだ。
英語は簡単なのである。
でもやはり、そんなぁ…と不満に思われる方がおられるだろう。
実は、日本語母語話者にとって難しいのは、「英語を身につけること」である。
「英語そのものは簡単なものだが、英語を身につけるのは難しい。」
そう言うことができるだろう。
それでも、普通に高校卒業まで英語を勉強し続ければ、
世界標準から見れば、十分な英語ができるようになっているのだ。
問題は、18才の時点で「私は英語ができる」という
正当な自己認識を持たせてもらえない教育体制にあるのだと思う。
「私は英語ができる」という認識をもてないまま
英語から離れてしまうと、残念ながら数年でその実力も薄れていってしまう。
「私は英語ができる」という認識をもてないまま
次第に、本当に英語ができなくなっていく悲劇が代々受け継がれているのだ。
21世紀初頭の日本の英語教育には、問題点が多すぎると感じている。
今後折りにふれてこのブログでも愚痴をこぼすことになろうが、
この手始めのエントリーでは、
「英語教育の目的」についての本音レベルでの不純さを
指摘しておこう。
日本の大人たちは、日本の学校教育を通じて、
子供達が相当程度の英語を身につけることを
総意において本音では期待していない。
持っているとすれば、
どうせ、本当にできるようにはならないだろう。
そういう負の期待、エクスペクテーションである。
また、子供に英語を頑張って欲しいと思う親も、
テストでいい点をとって欲しい。
公立高校に入って欲しい。
大学に入って欲しい。親を助けるためにできれば国公立大学に。
センター試験でいい点をとって欲しい。
そのために英語をしっかり勉強して欲しい。
そんな本音を隠しながら、あるいは時に隠すことすらなく、
子供に英語を勉強させていると言っていいだろう。
もちろん、これは「総意」について述べているのである。
純粋に英語を学びたい子供や、
学ばせたい親が存在しておられるのも事実である。
しかし、その存在はごくわずかであって、
英語を勉強させる親の、圧倒的多数が前記の本音を持っておられる。
時に、実は本音ではそう思っているのだという事を
親自身もが、自覚していないことが多いのも恐ろしいことである。
競争のための英語は−英語に限らず、全ての科目について
似たようなことが言えるのだろうが−不毛である。
それは、少数の勝者と、多数の敗者を後に遺す。
敗者が、「英語は簡単である。」「私は英語ができる。」
との認識を持つことは困難だし、
勝者の多くもまた、その認識を持たせてもらえない。
この不毛な英語の砂漠を彷徨う子供達に
いったい私は何ができるというのだろうか?
「英語は実は簡単である。」
「あなたは実はもう、相当に英語ができる。」
そういうメッセージを発し続ける
オアシスの番人のような存在でありたいと
せめて願ってはいる。
しかし、結局はいつの間にか砂漠に彷徨い出て、
試験や受験という虚無の怪物と、生徒と一緒に戦うハメに
なっているような気がする毎日である。
私はかろうじて生き延びてはきたが、
途中で姿が見えなくなって、消えてしまった生徒もいる。
私の実力不足か、それとも抗えぬ運命の過酷さなのか。
砂漠の中で生徒を失う悲痛は実に耐え難い。
それでも、砂漠の中にあって、私は叫び続けたい。
「英語は簡単である。」
「英語は簡単である。」
こう断言すると、ほとんどの人は、
そんなぁ…と戸惑われる。
しかし断言する根拠はある。
英語圏で育てば、わずか4、5歳のちっちゃな子供が
ペラペラと英語を話しているではないか。
数学と比べれば判りやすい。
数学は難しいのである。高校で習う数学は、
世界中どこでも、高校生位にならなければ理解できない。
もちろんガロア級の天才なら、10歳で身につく場合もあるだろうが、
それはあくまでもごく少数の例外である。
しかし、英語圏で育てば、生粋の日本人の父母から生まれた子供であったとしても、
ごく普通に、幼児期に英語がしゃべれるようになる。
英語圏で育った6歳児が
「嗚呼、英語がしゃべれたらなぁ」
などと嘆くことは無いのである。
これは、なにも先進国に限ったことではない。
インドやアフリカなどの発展途上国でも、
色々な事情で、小学校を出るか出ないか位で勉強を終えて、
働くしかなかった若者の中にも、自信たっぷりに
ペラペラと英語を話す者がいる。
そんな者達の英語を聞いていて、
何を言いたいのかよく判らないときがあると思う。
そんな時、日本人的に「ああ、私は英語が出来ない。」
と、諦めてはいけない。
よくよく聞いていると、その者達の英語は、
文法は適当な上に、発音は訛りがいっぱい。
しかも、知らない語彙があると、他の言語の単語を
ポンポン混ぜるのである。
そんな英語を話していながら、その者達は臆することなく、
胸を張って、"I can speak English." と言うのである。
「嗚呼、英語がしゃべれたらなぁ」
などと、こちらが嘆いている場合では無いのである。
高校を普通に卒業したての日本人の方がよっぽど、
正しい英語を知っている位なのだ。
英語は簡単なのである。
でもやはり、そんなぁ…と不満に思われる方がおられるだろう。
実は、日本語母語話者にとって難しいのは、「英語を身につけること」である。
「英語そのものは簡単なものだが、英語を身につけるのは難しい。」
そう言うことができるだろう。
それでも、普通に高校卒業まで英語を勉強し続ければ、
世界標準から見れば、十分な英語ができるようになっているのだ。
問題は、18才の時点で「私は英語ができる」という
正当な自己認識を持たせてもらえない教育体制にあるのだと思う。
「私は英語ができる」という認識をもてないまま
英語から離れてしまうと、残念ながら数年でその実力も薄れていってしまう。
「私は英語ができる」という認識をもてないまま
次第に、本当に英語ができなくなっていく悲劇が代々受け継がれているのだ。
21世紀初頭の日本の英語教育には、問題点が多すぎると感じている。
今後折りにふれてこのブログでも愚痴をこぼすことになろうが、
この手始めのエントリーでは、
「英語教育の目的」についての本音レベルでの不純さを
指摘しておこう。
日本の大人たちは、日本の学校教育を通じて、
子供達が相当程度の英語を身につけることを
総意において本音では期待していない。
持っているとすれば、
どうせ、本当にできるようにはならないだろう。
そういう負の期待、エクスペクテーションである。
また、子供に英語を頑張って欲しいと思う親も、
テストでいい点をとって欲しい。
公立高校に入って欲しい。
大学に入って欲しい。親を助けるためにできれば国公立大学に。
センター試験でいい点をとって欲しい。
そのために英語をしっかり勉強して欲しい。
そんな本音を隠しながら、あるいは時に隠すことすらなく、
子供に英語を勉強させていると言っていいだろう。
もちろん、これは「総意」について述べているのである。
純粋に英語を学びたい子供や、
学ばせたい親が存在しておられるのも事実である。
しかし、その存在はごくわずかであって、
英語を勉強させる親の、圧倒的多数が前記の本音を持っておられる。
時に、実は本音ではそう思っているのだという事を
親自身もが、自覚していないことが多いのも恐ろしいことである。
競争のための英語は−英語に限らず、全ての科目について
似たようなことが言えるのだろうが−不毛である。
それは、少数の勝者と、多数の敗者を後に遺す。
敗者が、「英語は簡単である。」「私は英語ができる。」
との認識を持つことは困難だし、
勝者の多くもまた、その認識を持たせてもらえない。
この不毛な英語の砂漠を彷徨う子供達に
いったい私は何ができるというのだろうか?
「英語は実は簡単である。」
「あなたは実はもう、相当に英語ができる。」
そういうメッセージを発し続ける
オアシスの番人のような存在でありたいと
せめて願ってはいる。
しかし、結局はいつの間にか砂漠に彷徨い出て、
試験や受験という虚無の怪物と、生徒と一緒に戦うハメに
なっているような気がする毎日である。
私はかろうじて生き延びてはきたが、
途中で姿が見えなくなって、消えてしまった生徒もいる。
私の実力不足か、それとも抗えぬ運命の過酷さなのか。
砂漠の中で生徒を失う悲痛は実に耐え難い。
それでも、砂漠の中にあって、私は叫び続けたい。
「英語は簡単である。」
Posted by Andy the Soarer - 2009.06.22,Mon
「宇宙は数学という言語で記述されている」
という言葉があるらしい。
宇宙はなぜ存在するのか。自分はなぜ存在するのか。
そして、それを問う自分、という「意識」とはいかなる物であるのか。
果てしなく深遠なこれらの問いの核心に少しでも迫ろうと考えるなら、
数学という言語を用いないでは済まされない段階にまで
人間の思索の積み重ねは進んできた。
そんな事、日々の暮らしには関係ないではないか。
そんなこと考えなくても、判らなくても、私には関係ない。
たとえちょっと判ったとしても、私の人生には何の役も立たない。
そう仰る人も多い。もっともなことだと思う。
そのような問いに囚われることなく、
日々の尊い務めを責任をもって遂行し、その任を果されている方々の
なんと多いことか。その献身に対して私が抱いている、
心からの尊敬と畏怖の念を、私はとても言葉では言い尽くせない。
その方々の日々の懸命な生き方にとって、上のような問いは、
ひょっとしてノイズのごとき余計なものにしか過ぎないのかもしれないのだ。
しかし、私は問い続け、考え続けることを止めることができない。
知的好奇心。それは個人的な欲望にすぎず、卑小なわがままですらあるのかもしれない。
しかし、せっかくこの世に生を受けたのである。
この世をしかと見、考え、人と語り合い、少しでも核心に迫って、次の世代に伝えることが
私に与えられた使命ではないかと、考えずにはいられない。
もちろん、私個人の個人的な感情にとどまるものではない。
この広大な時空の広がりの中で、奇跡的な惑星を与えられ、
その多様な生態系の中で唯一知性をもつ幸せを与えられた人類にとって、
この宇宙を理解し、その知を積み重ね、その成果をより良く使うことこそが、
何よりも大切なことなのではないかと私は思う。
そして、その言語としての数学、道具としての数学の価値は、
21世紀になって益々高まっていると、私は直感する。
19世紀末までに、今の数学の元型はほぼ完成したと言っていいだろう。
現在高校で教えられている数学の大半は、実は19世紀までの数学である。
物理学もそうだ。高校で教える物理学のほとんどが19世紀の物理学である。
それらが、古いとか、価値が無いとか、間違っているとか、
そういうことを言いたいのではない。
中世ヨーロッパの停滞、いわゆる暗黒時代を思うと、
ルネッサンス以降、19世紀末までによくぞここまで爆発的に
知の体系を積み上げたものだと、感心することしきりである。
ただ、19世紀末までの知の体系は、
いったん袋小路に迷い込んだと言えるのかもしれない。
それは、いわゆる「ラプラスの悪魔」という名前をつけられることもある概念で、
要するに「決定論」である。
19世紀の数学や物理学を学ぶことがなくても、
多くの少年少女が思春期に一度は想うであろう問い。
私の存在に意味があるのだろうか。
私には本当に自由意思があるのだろうか。
全ては私が生まれる前に決まっていて、
私の今の決断も、この思考も、その結論も、
とうの昔に決定済みであり、
自由意志なんて存在しないのではないか。
21世紀になっても、この問いに対する、
揺るぎの無い答えは存在しないのであるが、
19世紀末の時点では、数学や物理学は
この袋小路を突破する糸口さえつかめない状態に陥っていた。
むしろ、その袋小路をより深刻なものへと変えていったとすら言えるのかもしれない。
それは、哲学の世界にも波及し、ニーチェにおいてニヒリズムとして結晶したし、
20世紀初頭において、俗的な意味でのニヒリズムとして
人々の心の中に広がって行った。
先の2度の世界大戦は、このニヒリズムと無関係ではなかろう。
意識的にせよ、無意識的にせよ、ニヒリズム的決定論に身を浸せばこそ、
プロの軍人ではない者の命を躊躇うことなく奪うことができたし、
一般市民や徴兵された若者までもが、時が来れば潔く散華する覚悟を
決めることができたのではないか。
そして、21世紀の現在、高校で教えていることは、
おおむね、この19世紀の水準に留まっているのである。
私はこの点を大いに懸念している。
現実には20世紀になって、人類の知的体系は、
とてつもない進歩を続けてきた。
アインシュタインの2つの相対性理論は、
時間も空間も不変なものではなく、
物質の存在が時空を歪め、それどころかむしろ、
時空の歪みこそが物質の存在の正体であることを示し。
アインシュタインの手に負えなくなった知的体系は、
そもそも物質の存在を正確に知ること、
つまりその位置と速度を厳密に測定することは
原理的に不可能であることを導き。
カオスの数理は、ごく僅かな測定誤差ですら、
結果を全く異なったものに変えることを示して
現実世界の予測不可能性を示し。
エヴェレットの多世界解釈は、
「意識」や「自我」というものですら、
我々が感じているような、単純な一本の流れではない
という可能性を示唆している。
私が何を言ったのか、さっぱり判らない方もおられよう。
実のところ、私自信の理解も、全く不十分なものである。
しかし19世紀的なニヒリズムは、全く幼稚なものであり、
実は、この宇宙も、ヒトの存在も、トンでもなくスゲーものである。
その予感を少しでも伝えられたら幸いである。
私は、単純でニヒルな宇宙にではなく、
このように複雑で、凄い秘密を潜ませているこの宇宙に
存在できた奇跡に日々感動し、感謝しているし、
そのとんでもなく複雑な真理のヴェールの向こうに、
普遍的な愛−アガペー−の源泉が潜んでいる直感に
私は日々ワクワクしながら、考え続けているのである。
21世紀の知的体系への理解を少しでも深めたいのなら、
言葉としての数学、道具としての数学は欠かせないものとなる。
受験なる俗世間の怪物と闘って疲弊し、
学び、考えることをあきらめている場合ではない。
テストの点なんて、関係ないのである。
私は、この知的ワクワクを一人でも多くの人に伝えたい。
それこそが、真の平和と愛を世に広めることなのだと思う。
という言葉があるらしい。
宇宙はなぜ存在するのか。自分はなぜ存在するのか。
そして、それを問う自分、という「意識」とはいかなる物であるのか。
果てしなく深遠なこれらの問いの核心に少しでも迫ろうと考えるなら、
数学という言語を用いないでは済まされない段階にまで
人間の思索の積み重ねは進んできた。
そんな事、日々の暮らしには関係ないではないか。
そんなこと考えなくても、判らなくても、私には関係ない。
たとえちょっと判ったとしても、私の人生には何の役も立たない。
そう仰る人も多い。もっともなことだと思う。
そのような問いに囚われることなく、
日々の尊い務めを責任をもって遂行し、その任を果されている方々の
なんと多いことか。その献身に対して私が抱いている、
心からの尊敬と畏怖の念を、私はとても言葉では言い尽くせない。
その方々の日々の懸命な生き方にとって、上のような問いは、
ひょっとしてノイズのごとき余計なものにしか過ぎないのかもしれないのだ。
しかし、私は問い続け、考え続けることを止めることができない。
知的好奇心。それは個人的な欲望にすぎず、卑小なわがままですらあるのかもしれない。
しかし、せっかくこの世に生を受けたのである。
この世をしかと見、考え、人と語り合い、少しでも核心に迫って、次の世代に伝えることが
私に与えられた使命ではないかと、考えずにはいられない。
もちろん、私個人の個人的な感情にとどまるものではない。
この広大な時空の広がりの中で、奇跡的な惑星を与えられ、
その多様な生態系の中で唯一知性をもつ幸せを与えられた人類にとって、
この宇宙を理解し、その知を積み重ね、その成果をより良く使うことこそが、
何よりも大切なことなのではないかと私は思う。
そして、その言語としての数学、道具としての数学の価値は、
21世紀になって益々高まっていると、私は直感する。
19世紀末までに、今の数学の元型はほぼ完成したと言っていいだろう。
現在高校で教えられている数学の大半は、実は19世紀までの数学である。
物理学もそうだ。高校で教える物理学のほとんどが19世紀の物理学である。
それらが、古いとか、価値が無いとか、間違っているとか、
そういうことを言いたいのではない。
中世ヨーロッパの停滞、いわゆる暗黒時代を思うと、
ルネッサンス以降、19世紀末までによくぞここまで爆発的に
知の体系を積み上げたものだと、感心することしきりである。
ただ、19世紀末までの知の体系は、
いったん袋小路に迷い込んだと言えるのかもしれない。
それは、いわゆる「ラプラスの悪魔」という名前をつけられることもある概念で、
要するに「決定論」である。
19世紀の数学や物理学を学ぶことがなくても、
多くの少年少女が思春期に一度は想うであろう問い。
私の存在に意味があるのだろうか。
私には本当に自由意思があるのだろうか。
全ては私が生まれる前に決まっていて、
私の今の決断も、この思考も、その結論も、
とうの昔に決定済みであり、
自由意志なんて存在しないのではないか。
21世紀になっても、この問いに対する、
揺るぎの無い答えは存在しないのであるが、
19世紀末の時点では、数学や物理学は
この袋小路を突破する糸口さえつかめない状態に陥っていた。
むしろ、その袋小路をより深刻なものへと変えていったとすら言えるのかもしれない。
それは、哲学の世界にも波及し、ニーチェにおいてニヒリズムとして結晶したし、
20世紀初頭において、俗的な意味でのニヒリズムとして
人々の心の中に広がって行った。
先の2度の世界大戦は、このニヒリズムと無関係ではなかろう。
意識的にせよ、無意識的にせよ、ニヒリズム的決定論に身を浸せばこそ、
プロの軍人ではない者の命を躊躇うことなく奪うことができたし、
一般市民や徴兵された若者までもが、時が来れば潔く散華する覚悟を
決めることができたのではないか。
そして、21世紀の現在、高校で教えていることは、
おおむね、この19世紀の水準に留まっているのである。
私はこの点を大いに懸念している。
現実には20世紀になって、人類の知的体系は、
とてつもない進歩を続けてきた。
アインシュタインの2つの相対性理論は、
時間も空間も不変なものではなく、
物質の存在が時空を歪め、それどころかむしろ、
時空の歪みこそが物質の存在の正体であることを示し。
アインシュタインの手に負えなくなった知的体系は、
そもそも物質の存在を正確に知ること、
つまりその位置と速度を厳密に測定することは
原理的に不可能であることを導き。
カオスの数理は、ごく僅かな測定誤差ですら、
結果を全く異なったものに変えることを示して
現実世界の予測不可能性を示し。
エヴェレットの多世界解釈は、
「意識」や「自我」というものですら、
我々が感じているような、単純な一本の流れではない
という可能性を示唆している。
私が何を言ったのか、さっぱり判らない方もおられよう。
実のところ、私自信の理解も、全く不十分なものである。
しかし19世紀的なニヒリズムは、全く幼稚なものであり、
実は、この宇宙も、ヒトの存在も、トンでもなくスゲーものである。
その予感を少しでも伝えられたら幸いである。
私は、単純でニヒルな宇宙にではなく、
このように複雑で、凄い秘密を潜ませているこの宇宙に
存在できた奇跡に日々感動し、感謝しているし、
そのとんでもなく複雑な真理のヴェールの向こうに、
普遍的な愛−アガペー−の源泉が潜んでいる直感に
私は日々ワクワクしながら、考え続けているのである。
21世紀の知的体系への理解を少しでも深めたいのなら、
言葉としての数学、道具としての数学は欠かせないものとなる。
受験なる俗世間の怪物と闘って疲弊し、
学び、考えることをあきらめている場合ではない。
テストの点なんて、関係ないのである。
私は、この知的ワクワクを一人でも多くの人に伝えたい。
それこそが、真の平和と愛を世に広めることなのだと思う。
Posted by Andy the Soarer - 2009.06.22,Mon
2003年秋、父の大腸癌が判明した。
その前の冬から自覚症状はあったのだが、医者にかかるのをためらううちに、
症状は悪化し、夏を越えてからは便秘と下痢の繰り返しとなり、
ついに、居ても立ってもいられない程の腹痛に見舞われてから
ようやく観念して近くの胃腸科を受診したのである。
症状を聞いて、ただちに内視鏡検査が行われ、
たちまち大腸を一周して腸閉塞を起こしかけている進行癌が発見されることとなった。
幸いにして、愛知県がんセンター病院において、
細心の配慮が行き届いた、当時のおそらく最高水準の手術を受ける幸運に恵まれた。
普通の癌であれば、自覚症状が出てから半年も放置し、
苦痛に耐えられなくなってから受診するようなことでは、まず助からない。
しかもリンパ節転移を伴っているようだとほとんど助からない。
果たして父の癌も手術の結果、リンパ節転移が発見された。
しかし、父が罹った癌の種類が「大腸癌」であったことは、まさに不幸中の幸いであった。
大腸癌の場合は、そんなに進行した段階でも助かる可能性が十分にあり、
大腸癌は、癌の中ではむしろ例外的な癌であると言えるのだ。
そうはいっても、父の場合、その手術が終わった時点で再発の確率は、ほぼ5分と5分。
5年後に生きている確率は、希望的に見積もって6割程度という状況にあった。
少しでも生存確率を上げるために、補助化学療法、いわゆる抗癌剤を使うこととなった。
手術と術後のケアという点では、感動的なまでに完璧な治療を受けることができた癌センター
ではあったのだが、化学療法の点に関して言えばやや不満が残ることとなった。
がんセンターというところは、「標準的な治療」を使命とする性質があるようで、
一般的には、化学療法の選択について保守的になるもののようである。
いずれにせよ、当初のプログラム通り、術後半年で化学療法は終了となり、
以降はCT検査や血液検査検査などによる経過観察のみとなった。
実に幸運なことに、その後も父の体から再発病巣が発見されることは無かった。
2009年初春、ついに主治医から「完治」の宣言が発せられた。
無責任に進行させてしまった癌を、誠実に治療してくださった医師の皆様を始め、
丁寧な見舞いを頂戴した方々、ご心配をおかけした方々、祈っていただいた方々に、
いくら感謝をしてもしたりない気持ちで一杯である。
父が癌になってみるまで、私は癌のことはよく知らなかった。
癌という病気はとてつもなく恐ろしくて、「まるで死そのもの」であり、
怖くて、考えたくもない話題であったし、
そうなってみるまで関心を持つ気にもならなかった。
いざ家族の身に降りかかってはじめて、
一生懸命になって情報を集め、勉強をし、考えた。
私の触れた情報の多くは、2003〜2004年時点でのものが中心ではあるが、
現時点でもなお世間一般の共通認識とはなっていない
「癌の常識」のようなものも沢山ある。
私が学んだことを少しでも社会に還元するため、
このブログでもとりあげていきたいと思う。
ヒトは、与えられた命が、有限であることを知っている。
130年生きるヒトは存在せず、生き延びてせいぜい110年程度。
普通は90年生きれば十分に長生きと言われる。
生まれた子供の200人に1人は寿命を迎える前に交通事故で命を落とす。
そのようなことを知った上で、ヒトは日々をおおむね平静に生きている。
ところが、
「あなたのガンは治りません。平均余命2年です。5年生存確率は10%未満です」
と言われると、とたんにヒトは動転する。誰しもが動転する。
それどころか、治る見込みが十分にあっても、
「あなたは進行ガンです」といわれると、動揺する。とても動揺する。
父が告知されたとき、私も非常に動揺した。
しかし、その後勉強し、また父の闘病を側で見て、
認識が変わったのは事実だ。
ヒトは、「死を内包する生」を生きている。
ガンになったからと言って、何かが絶対的に変わるわけではない。
ただ、相対的に生の期間が短くなる確率が上がったに過ぎない。
悠久の宇宙の歴史から見れば、その違いは誤差の範囲に過ぎないレベルである。
また、癌細胞とは、
自分の外部から来たからウィルスや細菌のような侵入者ではなく、
自分自身の細胞が分裂していった成れの果てである。
これらのことを考え合わせると、
「癌とは生きることそのものである。」と言えるのではなかろうか。
と思っている。
もっとも、仮に私自身や、
私の身内が致命的な癌に罹ったときにも、同じ様に考えられるのか。
実は全然その自信がないことも、最初に正直に告白しておこう。
その前の冬から自覚症状はあったのだが、医者にかかるのをためらううちに、
症状は悪化し、夏を越えてからは便秘と下痢の繰り返しとなり、
ついに、居ても立ってもいられない程の腹痛に見舞われてから
ようやく観念して近くの胃腸科を受診したのである。
症状を聞いて、ただちに内視鏡検査が行われ、
たちまち大腸を一周して腸閉塞を起こしかけている進行癌が発見されることとなった。
幸いにして、愛知県がんセンター病院において、
細心の配慮が行き届いた、当時のおそらく最高水準の手術を受ける幸運に恵まれた。
普通の癌であれば、自覚症状が出てから半年も放置し、
苦痛に耐えられなくなってから受診するようなことでは、まず助からない。
しかもリンパ節転移を伴っているようだとほとんど助からない。
果たして父の癌も手術の結果、リンパ節転移が発見された。
しかし、父が罹った癌の種類が「大腸癌」であったことは、まさに不幸中の幸いであった。
大腸癌の場合は、そんなに進行した段階でも助かる可能性が十分にあり、
大腸癌は、癌の中ではむしろ例外的な癌であると言えるのだ。
そうはいっても、父の場合、その手術が終わった時点で再発の確率は、ほぼ5分と5分。
5年後に生きている確率は、希望的に見積もって6割程度という状況にあった。
少しでも生存確率を上げるために、補助化学療法、いわゆる抗癌剤を使うこととなった。
手術と術後のケアという点では、感動的なまでに完璧な治療を受けることができた癌センター
ではあったのだが、化学療法の点に関して言えばやや不満が残ることとなった。
がんセンターというところは、「標準的な治療」を使命とする性質があるようで、
一般的には、化学療法の選択について保守的になるもののようである。
いずれにせよ、当初のプログラム通り、術後半年で化学療法は終了となり、
以降はCT検査や血液検査検査などによる経過観察のみとなった。
実に幸運なことに、その後も父の体から再発病巣が発見されることは無かった。
2009年初春、ついに主治医から「完治」の宣言が発せられた。
無責任に進行させてしまった癌を、誠実に治療してくださった医師の皆様を始め、
丁寧な見舞いを頂戴した方々、ご心配をおかけした方々、祈っていただいた方々に、
いくら感謝をしてもしたりない気持ちで一杯である。
父が癌になってみるまで、私は癌のことはよく知らなかった。
癌という病気はとてつもなく恐ろしくて、「まるで死そのもの」であり、
怖くて、考えたくもない話題であったし、
そうなってみるまで関心を持つ気にもならなかった。
いざ家族の身に降りかかってはじめて、
一生懸命になって情報を集め、勉強をし、考えた。
私の触れた情報の多くは、2003〜2004年時点でのものが中心ではあるが、
現時点でもなお世間一般の共通認識とはなっていない
「癌の常識」のようなものも沢山ある。
私が学んだことを少しでも社会に還元するため、
このブログでもとりあげていきたいと思う。
ヒトは、与えられた命が、有限であることを知っている。
130年生きるヒトは存在せず、生き延びてせいぜい110年程度。
普通は90年生きれば十分に長生きと言われる。
生まれた子供の200人に1人は寿命を迎える前に交通事故で命を落とす。
そのようなことを知った上で、ヒトは日々をおおむね平静に生きている。
ところが、
「あなたのガンは治りません。平均余命2年です。5年生存確率は10%未満です」
と言われると、とたんにヒトは動転する。誰しもが動転する。
それどころか、治る見込みが十分にあっても、
「あなたは進行ガンです」といわれると、動揺する。とても動揺する。
父が告知されたとき、私も非常に動揺した。
しかし、その後勉強し、また父の闘病を側で見て、
認識が変わったのは事実だ。
ヒトは、「死を内包する生」を生きている。
ガンになったからと言って、何かが絶対的に変わるわけではない。
ただ、相対的に生の期間が短くなる確率が上がったに過ぎない。
悠久の宇宙の歴史から見れば、その違いは誤差の範囲に過ぎないレベルである。
また、癌細胞とは、
自分の外部から来たからウィルスや細菌のような侵入者ではなく、
自分自身の細胞が分裂していった成れの果てである。
これらのことを考え合わせると、
「癌とは生きることそのものである。」と言えるのではなかろうか。
と思っている。
もっとも、仮に私自身や、
私の身内が致命的な癌に罹ったときにも、同じ様に考えられるのか。
実は全然その自信がないことも、最初に正直に告白しておこう。
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都落ちし、忍びの里に蟄居して以来十余年。運命に導かれるようにして私に学びたいという生徒が次第に集まり、英語や数学等を懸命に教える日々をすごしている。最近、知る喜びを与え、学びたい気持ちを励まし、学びたいことを学ばせ、教えたいことを教えることが、実はこの国では「禁じられた遊び」にあたるのではないかと苦悩することがある。
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