忍びの里に潜むアンドレの巣窟です
Posted by Andy the Soarer - 2024.09.08,Sun
暇つぶしがてら2090年まで待ってるよ。
でもね、この素敵な歌を君が僕に聴かせたがったのは、
さよならも言えない残酷な別れを僕に覚悟して欲しかったからだったのかい?
存在が小さすぎるからじゃない。大きすぎるから捨てなければならない。
そんなことがありえるのかい?
確かに僕は君が好きだった。愛してたんだ。でもね、恋はしてなかったんだよ。
君を私の人生の中に束縛したいなんて全く思っていなかった。
ただ、あなたにあなた自身の存在の尊さを気付いて欲しかった。
あなたの一生を陰ながら見守りたかった。
あなたが人を愛することを覚え、相互尊敬に満ちた彼氏ができるのを見守りたかった。
あなたが子を生したら、あなたの子に、二人で語り合った理想の教育を授ける手伝いがしたかった。
人間として惚れてたんだ。
それって、ありえないこと。いけないことだったのかな?
2009年春。私は信じていた人から裏切りをうけた。予想もしないその裏切りにとてつもない痛手を被ったが、
私は本質的にその人を赦している。赦すことによって私の思索も新たな段階に入れたように思う。
「学びたいことを学べる大学・学科に入れ」
私はあなたにあなたにそう言いつづけてきた。
それは、あなたには、そうする権利があると信じていたから。
学びたいことを学ぶ価値があなたにはあると信じていたから。
それが義務だなんて言ったつもりはなかったんだけどね。
あなたが私に顔向けできない心境になったのは、
あなたが「入れる有名大学ならどこでもいい」
「学びたいことを学べる大学・学科に入らない」決断を
したからなのかい?
そのことで私のあなたへの評価が変わるってことは無いんだけどね。
そのことで私のあなたへの尊敬が変わるってことは無いんだけどね。
でも、私を騙し、私に背を向けるのはいただけないなぁ…。
いつか戻ってきてくれる日がくるよね?
でもね、この素敵な歌を君が僕に聴かせたがったのは、
さよならも言えない残酷な別れを僕に覚悟して欲しかったからだったのかい?
存在が小さすぎるからじゃない。大きすぎるから捨てなければならない。
そんなことがありえるのかい?
確かに僕は君が好きだった。愛してたんだ。でもね、恋はしてなかったんだよ。
君を私の人生の中に束縛したいなんて全く思っていなかった。
ただ、あなたにあなた自身の存在の尊さを気付いて欲しかった。
あなたの一生を陰ながら見守りたかった。
あなたが人を愛することを覚え、相互尊敬に満ちた彼氏ができるのを見守りたかった。
あなたが子を生したら、あなたの子に、二人で語り合った理想の教育を授ける手伝いがしたかった。
人間として惚れてたんだ。
それって、ありえないこと。いけないことだったのかな?
2009年春。私は信じていた人から裏切りをうけた。予想もしないその裏切りにとてつもない痛手を被ったが、
私は本質的にその人を赦している。赦すことによって私の思索も新たな段階に入れたように思う。
「学びたいことを学べる大学・学科に入れ」
私はあなたにあなたにそう言いつづけてきた。
それは、あなたには、そうする権利があると信じていたから。
学びたいことを学ぶ価値があなたにはあると信じていたから。
それが義務だなんて言ったつもりはなかったんだけどね。
あなたが私に顔向けできない心境になったのは、
あなたが「入れる有名大学ならどこでもいい」
「学びたいことを学べる大学・学科に入らない」決断を
したからなのかい?
そのことで私のあなたへの評価が変わるってことは無いんだけどね。
そのことで私のあなたへの尊敬が変わるってことは無いんだけどね。
でも、私を騙し、私に背を向けるのはいただけないなぁ…。
いつか戻ってきてくれる日がくるよね?
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Posted by Andy the Soarer - 2009.12.31,Thu
オバマ大統領が、2009年のノーベル平和賞を受賞することになったというニュースが世界を駆け抜けた時、私は忍びの里を少し出て、青年団が演じる「東京ノート」を見ていた。
青年団、平田オリザ氏、そして現代口語演劇の代表作の一つとして名の知られた戯曲である。とはいっても、私はこれが初見。戯曲そのものから直接得られるものを大切にしたくて、事前に情報を得ることをできるだけ避け、緊張感をもって観ることにした。
青年団の舞台を観るのはまだ5回目であるが、いつもながらの見事な舞台である。なにも演じていないようにすら思われる、計算されつくした演技。俳句のように、直接の言及をせず、登場人物のセリフを通して徐々に懸案が浮かび上がってくる台本。開演前から終劇まで、頭をフル回転して考えなければいけない、知的エンターエインメントである。
ただ、今回、開演前の短い時間にリーフレットを見てしまったことが、私としては失敗だったように思う。そこには、「当初、2004年の日本を想定して書かれたこの作品を、2004年からは2014年の日本に書き換えた」旨が書かれていた。2004年に書き換えられたということは、当然、2001年9月11日以降に書き換えられたということである。
この戯曲には、戦争が描かれている。登場人物たちの何人かが、戦争への関与(徴兵への対応や、武器製造への従事、反戦運動への参加と挫折など)を口にする。そして、舞台となっている美術館は、欧州の戦火を避ける「避難措置」によって一時的に集結したフェルメールの絵であふれているという設定になっている。しかし、その戦争とはいったい、いかなる種類の物なのであろうか。観劇中、その点が気になって興を削がれた感があった。
21世紀は、非対称戦争の時代だ。それは、一見兵器とは思えない旅客機とカッターナイフが、人類に拭いがたいダメージを与えた2001年9月11に、決定的に明らかになった事実である。その上で、2004年に2014年を想定して描いた戦争。欧州が全面戦争となり、灯火管制が敷かれ、絵画の全面的な疎開が必要となる。一方で日本はかろうじて平和を維持することはできる。それはいったいどういう形態の戦争でありえるのだろうか。
戯曲を見ている時に舞台を通して得られる問題の戦争のイメージは、どうしても欧州においての全面戦争の様相を呈しているのだ。しかし一方で、次に欧州本土で全面戦争が起こるならそれは核戦争となってしまうという認識が、その理解を否定して、葛藤を生じてしまう。核戦争が起こせない以上、欧州本土で全面戦争が起こることは考えられないのだ。この戯曲における戦争。平田オリザ氏が2004年に想定した戦争とはいかなるものなのか。
その後、長い間この疑問は私を捕らえることになった。このエントリーを書くまでの2ヶ月あまりに考えた事は二点。
一つは、描かれている戦争が非対称戦争であることは可能なのではないかということだ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、いわゆるアブラハムの宗教においては、「像」というものが忌避される傾向がある。現在では特にイスラム教原理主義において顕著なのであるが、例えば、20世紀末にアフガニスタンを支配したタリバンは、仏像はおろか、あらゆる像を否定・破壊し、映画のフィルムすら焼き捨てたのだ。その延長線上で考えれば、絵画も、原理主義者によってターゲットとされる可能性があるかもしれないのだ。つまり、美術館にて絵画を展示すると、テロリストに爆破されるという非対称戦争は、考え得るのかもしれない。絵画は展示し、人の目によって触れられてこそ価値がある。しかし欧州において展示すにはリスクが高すぎるため、遠く極東の島国である日本において展示するという「避難措置」がとられた。という想定だ。
もう一つは、オバマ大統領のノーベル賞受賞公演を聞いているときに思いついたのだが、オバマ大統領が唱える反核が実現した場合、つまりABC兵器の徹底禁止が成った後の世界においては、再び全面戦争が可能となってしまうのではないか?ということだ。例えば欧州の某国が、核兵器の再配備を狙ったために、世界が全面戦争をもって応えるという展開はありえるのかもしれないという想定だ。
考えすぎよ。とまた叱られるかもしれない。
21世紀の最初の十年紀がまもなく終わろうとしている。2010年代において人類は真の平和に向かって、ただ戦争が無い、全面戦争が無いという意味での平和という意味ではなく、ヒトが互いの命を、尊敬を持って受け入れているという意味での真の平和に向かって、歩んでいけるものであって欲しいと願わずにはいられない。
青年団、平田オリザ氏、そして現代口語演劇の代表作の一つとして名の知られた戯曲である。とはいっても、私はこれが初見。戯曲そのものから直接得られるものを大切にしたくて、事前に情報を得ることをできるだけ避け、緊張感をもって観ることにした。
青年団の舞台を観るのはまだ5回目であるが、いつもながらの見事な舞台である。なにも演じていないようにすら思われる、計算されつくした演技。俳句のように、直接の言及をせず、登場人物のセリフを通して徐々に懸案が浮かび上がってくる台本。開演前から終劇まで、頭をフル回転して考えなければいけない、知的エンターエインメントである。
ただ、今回、開演前の短い時間にリーフレットを見てしまったことが、私としては失敗だったように思う。そこには、「当初、2004年の日本を想定して書かれたこの作品を、2004年からは2014年の日本に書き換えた」旨が書かれていた。2004年に書き換えられたということは、当然、2001年9月11日以降に書き換えられたということである。
この戯曲には、戦争が描かれている。登場人物たちの何人かが、戦争への関与(徴兵への対応や、武器製造への従事、反戦運動への参加と挫折など)を口にする。そして、舞台となっている美術館は、欧州の戦火を避ける「避難措置」によって一時的に集結したフェルメールの絵であふれているという設定になっている。しかし、その戦争とはいったい、いかなる種類の物なのであろうか。観劇中、その点が気になって興を削がれた感があった。
21世紀は、非対称戦争の時代だ。それは、一見兵器とは思えない旅客機とカッターナイフが、人類に拭いがたいダメージを与えた2001年9月11に、決定的に明らかになった事実である。その上で、2004年に2014年を想定して描いた戦争。欧州が全面戦争となり、灯火管制が敷かれ、絵画の全面的な疎開が必要となる。一方で日本はかろうじて平和を維持することはできる。それはいったいどういう形態の戦争でありえるのだろうか。
戯曲を見ている時に舞台を通して得られる問題の戦争のイメージは、どうしても欧州においての全面戦争の様相を呈しているのだ。しかし一方で、次に欧州本土で全面戦争が起こるならそれは核戦争となってしまうという認識が、その理解を否定して、葛藤を生じてしまう。核戦争が起こせない以上、欧州本土で全面戦争が起こることは考えられないのだ。この戯曲における戦争。平田オリザ氏が2004年に想定した戦争とはいかなるものなのか。
その後、長い間この疑問は私を捕らえることになった。このエントリーを書くまでの2ヶ月あまりに考えた事は二点。
一つは、描かれている戦争が非対称戦争であることは可能なのではないかということだ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、いわゆるアブラハムの宗教においては、「像」というものが忌避される傾向がある。現在では特にイスラム教原理主義において顕著なのであるが、例えば、20世紀末にアフガニスタンを支配したタリバンは、仏像はおろか、あらゆる像を否定・破壊し、映画のフィルムすら焼き捨てたのだ。その延長線上で考えれば、絵画も、原理主義者によってターゲットとされる可能性があるかもしれないのだ。つまり、美術館にて絵画を展示すると、テロリストに爆破されるという非対称戦争は、考え得るのかもしれない。絵画は展示し、人の目によって触れられてこそ価値がある。しかし欧州において展示すにはリスクが高すぎるため、遠く極東の島国である日本において展示するという「避難措置」がとられた。という想定だ。
もう一つは、オバマ大統領のノーベル賞受賞公演を聞いているときに思いついたのだが、オバマ大統領が唱える反核が実現した場合、つまりABC兵器の徹底禁止が成った後の世界においては、再び全面戦争が可能となってしまうのではないか?ということだ。例えば欧州の某国が、核兵器の再配備を狙ったために、世界が全面戦争をもって応えるという展開はありえるのかもしれないという想定だ。
考えすぎよ。とまた叱られるかもしれない。
21世紀の最初の十年紀がまもなく終わろうとしている。2010年代において人類は真の平和に向かって、ただ戦争が無い、全面戦争が無いという意味での平和という意味ではなく、ヒトが互いの命を、尊敬を持って受け入れているという意味での真の平和に向かって、歩んでいけるものであって欲しいと願わずにはいられない。
Posted by Andy the Soarer - 2009.09.25,Fri
Twitterを始めてみることにした。
http://twitter.com/Andy_the_Soarer
ブログを書き始めてそろそろ4か月になるが、
なかなかエントリーを投稿できないでいる。
ブログという概念ができる前からのネットユーザーの
さがとでもいうのだろうか、
日常のlogをwebに掲載するというスタイルには
なかなかならずに、どうしても、
随筆のようなものををじっくり書いてしまう。
たいした内容・文章が書けわけでもないのだが、
こんなものでも、書こうと思うと、
私には、少なくとも4〜5時間かかってしまう。
書きたいネタは沢山あって、
時に、思うところがあったりすると、
一気呵成に書けてしまうこともあるのだが、
そんな長時間の作業に取り掛かるのが、
平凡な日々が続いている時には、なんだか億劫に感じられて
つい、先延ばしにしてしまう。
あるいは逆に非日常的な体験があった後に
エントリーに綴りたいと思っても、
その体験の強烈さに心が疲れていたり、
あるいは、
その体験を十分に消化できないままに綴ると、
おかしな事を書くのではないかと不安になって、
やはり、つい、先延ばしにしてしまう。
Twitterは、140文字以内という制限下で「つぶやき」を
どんどん投稿するというコミュニケーションサイトなのだが、
全世界での利用者は既に1億人を突破しているとも伝えられている。
なぜ140文字なのか?と調べてみると、
SMSの文字数制限内で一回に送りきれる文字量からきているものらしい。
SMSは、携帯同士での文字通信手段として
欧米で広く使われているシステムであるが、
iモード以降、日本では携帯文化がガラパゴス的進化を遂げたためもあってか
あまり使われていない。
このため、SMSの文字制限といっても、
日本ではIT文化的な実感はあまり沸かない。
また、アルファベットでの140文字は、
日本語では何文字なのか?という問題がある。
twitterは、漢字や平仮名でも1文字は1文字と数えて
140文字以内としているが、日本語での140文字は、
明らかにアルファベットでの140文字より多くの情報を含めることができてしまう。
多少の問題がありそうなのは事実なのだが、
考えてみると、日本では昔から、31文字や、17文字で
思うところを伝える文化があった。短歌や俳句のことである。
詩歌のようなリズム感や芸術的濃縮はないにせよ、
文字数に制限を課して、簡潔にしかもタイムリーに述べるという試みは
興味深いものだと思う。
文字数に制限を課し、
しかも「つぶやく」という前提に立てば、
当然、タイトルも前振りも纏めも書く余裕は無い。
ずばり内容だけを書くことができるのだ。
これなら私ももう少し何かをネットに上げられるような気がする。
文字数についてだが、
携帯等の画面上では、アルファベット140文字というのは、
日本語のようないわゆる全角文字での70文字に相当することになる。
とりあえず、全角文字相当で70文字以下という自主制限を課して
「つぶやいて」みようと思う。
最新のつぶやきは、このブログの右側最上部にも表示されるようにしてみた。
このような表示部は、「Twitterバッジ」と呼ばれているらしい。
▼▲の部分を押すと、過去のつぶやきを見ることもできる。
もちろん、
http://twitter.com/Andy_the_Soarer
から私のタイムラインを直接見ることも可能だ。
気がついてみると、24日のつぶやきが、
早速、起承転結の4段構成になっていたりして、
たぶん、そうじゃないんだろうな、と思ったりもする。
さて私は、私は本当に思いのままにつぶやくことができるだろうか。
なにしろ、世界に聞こえるつぶやきである。
保存されて、何十年後に聞かれるかもしれないつぶやきである。
まぁ、なにはともあれ、まずは気楽につぶやいてみたいなと思う。
http://twitter.com/Andy_the_Soarer
ブログを書き始めてそろそろ4か月になるが、
なかなかエントリーを投稿できないでいる。
ブログという概念ができる前からのネットユーザーの
さがとでもいうのだろうか、
日常のlogをwebに掲載するというスタイルには
なかなかならずに、どうしても、
随筆のようなものををじっくり書いてしまう。
たいした内容・文章が書けわけでもないのだが、
こんなものでも、書こうと思うと、
私には、少なくとも4〜5時間かかってしまう。
書きたいネタは沢山あって、
時に、思うところがあったりすると、
一気呵成に書けてしまうこともあるのだが、
そんな長時間の作業に取り掛かるのが、
平凡な日々が続いている時には、なんだか億劫に感じられて
つい、先延ばしにしてしまう。
あるいは逆に非日常的な体験があった後に
エントリーに綴りたいと思っても、
その体験の強烈さに心が疲れていたり、
あるいは、
その体験を十分に消化できないままに綴ると、
おかしな事を書くのではないかと不安になって、
やはり、つい、先延ばしにしてしまう。
Twitterは、140文字以内という制限下で「つぶやき」を
どんどん投稿するというコミュニケーションサイトなのだが、
全世界での利用者は既に1億人を突破しているとも伝えられている。
なぜ140文字なのか?と調べてみると、
SMSの文字数制限内で一回に送りきれる文字量からきているものらしい。
SMSは、携帯同士での文字通信手段として
欧米で広く使われているシステムであるが、
iモード以降、日本では携帯文化がガラパゴス的進化を遂げたためもあってか
あまり使われていない。
このため、SMSの文字制限といっても、
日本ではIT文化的な実感はあまり沸かない。
また、アルファベットでの140文字は、
日本語では何文字なのか?という問題がある。
twitterは、漢字や平仮名でも1文字は1文字と数えて
140文字以内としているが、日本語での140文字は、
明らかにアルファベットでの140文字より多くの情報を含めることができてしまう。
多少の問題がありそうなのは事実なのだが、
考えてみると、日本では昔から、31文字や、17文字で
思うところを伝える文化があった。短歌や俳句のことである。
詩歌のようなリズム感や芸術的濃縮はないにせよ、
文字数に制限を課して、簡潔にしかもタイムリーに述べるという試みは
興味深いものだと思う。
文字数に制限を課し、
しかも「つぶやく」という前提に立てば、
当然、タイトルも前振りも纏めも書く余裕は無い。
ずばり内容だけを書くことができるのだ。
これなら私ももう少し何かをネットに上げられるような気がする。
文字数についてだが、
携帯等の画面上では、アルファベット140文字というのは、
日本語のようないわゆる全角文字での70文字に相当することになる。
とりあえず、全角文字相当で70文字以下という自主制限を課して
「つぶやいて」みようと思う。
最新のつぶやきは、このブログの右側最上部にも表示されるようにしてみた。
このような表示部は、「Twitterバッジ」と呼ばれているらしい。
▼▲の部分を押すと、過去のつぶやきを見ることもできる。
もちろん、
http://twitter.com/Andy_the_Soarer
から私のタイムラインを直接見ることも可能だ。
気がついてみると、24日のつぶやきが、
早速、起承転結の4段構成になっていたりして、
たぶん、そうじゃないんだろうな、と思ったりもする。
さて私は、私は本当に思いのままにつぶやくことができるだろうか。
なにしろ、世界に聞こえるつぶやきである。
保存されて、何十年後に聞かれるかもしれないつぶやきである。
まぁ、なにはともあれ、まずは気楽につぶやいてみたいなと思う。
Posted by Andy the Soarer - 2009.08.22,Sat
南河内万歳一座が演じる「S高原から」を観てきた。
「S高原から」は青年団の代表作の一つなのだが、
2009年8月から9月にかけて、青年団と南河内万歳一座とで
お互いの代表作を交換して東京と大阪で連続上演するという
共同企画を行っているのだ。
私が小劇場で観劇するのは、青年団の戯曲に限られていて、
それも、古い友人が出演するときに限るという、超素人なのであるが、
それだけでは、あんまりな気がしきて、
せっかく、こういう企画があるのだからと、
思い切って忍びの里を飛び出して大阪まで出かけたのだった。
それにしても、オリジナル版に一度も触れた事がないまま、
「世界一やかましい」演出を目指したという南河内万歳一座版から
「S高原から」の世界に入ったので、
観劇上の色々な「お約束」を知らないがために
訳が判らなくなった面があったのかもしれないが、
とにかく、興味深く観させていただいた。
演じられた劇空間のサナトリウムは、
21世紀の現在では医学的にありえないものである。
サナトリウムというのは、もともとは結核治療のための施設であり、
結核が不治の病でなくなったここ数十年は、
長くいることが普通で、
「一度入ったら、死んで帰るか、治って帰るか。」
しかなく、
「帰れないから帰らないのか、帰りたくないから帰らないのか」
もわからなってくる。
というような施設は考えにくい。
この劇空間が、どういう病を扱っているのか、
それが判らなくて、少し混乱しながら観ていた。
1980年代後半の、癌治療を想定しているのかな?
と考えてもみたが、それならもう少し闘病感があるだろうし、
予後不明のまま5年も経過するということは珍しかった時代になる。
おそらく、このようなことを考えること自体が愚問なのであろう。
とにかく、まず印象的だったのは、
劇場に入ってみると、舞台はどう見ても
ブルーシートが多用された掘っ立て小屋の集合のようなもので、
ホームレスのテント街か、スラム街といった様相だったことである。
そこになぜか、患者、医師、看護婦といった人たちが登場して
長期療養生活を巡るドラマが繰り広げられる。
しかし、そんな舞台を1時間以上見ていると、いつの間にか、
そこが療養所であるかのような気がしてくるから、
不思議なものである。
最後の最後になって、
ホームレス風の者が登場して、ホームレスらしく振舞うことで、
やっぱりここはホームレス街だったんだと思わされ、
そこで幕となる仕掛けであった。
そして、あっ、と思わされるのである。
劇中の患者達は皆、本当の居場所−家−を失った、
「ホームレス」であったのである。
それにしても、痛感したのは、
「愛がないなぁ…」ということであった。
男と女が触れ合うことで生じる潤いや葛藤はあっても、
お互いの限りある生を −限りがあるからこそ−
無条件に肯定する感情、愛。
その感情が決定的に欠けているからこそ、
その生が潰えるかもしれないときに、
どうしようもない孤独を抱えることになる。
療養所の患者達が愛されていないという面はもちろんであるが、
患者達もまた、愛することができなくなってしまっている。
あるいは、最初から誰かを本当に愛したことが
無かったのかもしれない…
それは、ホームレス問題の根底にもあることだし、
21世紀の日本全体が広く抱える根本的な問題点であるのかもしれない。
劇中に出てくる、
「風立ちぬ、いざ生きめやも」という文言を
ネットで検索してみると、色々と物議を醸す表現であることが判った。
その問題点を承知の上で、あえて、
こう呟いてみたい気がする夜更けである。
「いざ愛でめやも」
「S高原から」は青年団の代表作の一つなのだが、
2009年8月から9月にかけて、青年団と南河内万歳一座とで
お互いの代表作を交換して東京と大阪で連続上演するという
共同企画を行っているのだ。
私が小劇場で観劇するのは、青年団の戯曲に限られていて、
それも、古い友人が出演するときに限るという、超素人なのであるが、
それだけでは、あんまりな気がしきて、
せっかく、こういう企画があるのだからと、
思い切って忍びの里を飛び出して大阪まで出かけたのだった。
それにしても、オリジナル版に一度も触れた事がないまま、
「世界一やかましい」演出を目指したという南河内万歳一座版から
「S高原から」の世界に入ったので、
観劇上の色々な「お約束」を知らないがために
訳が判らなくなった面があったのかもしれないが、
とにかく、興味深く観させていただいた。
演じられた劇空間のサナトリウムは、
21世紀の現在では医学的にありえないものである。
サナトリウムというのは、もともとは結核治療のための施設であり、
結核が不治の病でなくなったここ数十年は、
長くいることが普通で、
「一度入ったら、死んで帰るか、治って帰るか。」
しかなく、
「帰れないから帰らないのか、帰りたくないから帰らないのか」
もわからなってくる。
というような施設は考えにくい。
この劇空間が、どういう病を扱っているのか、
それが判らなくて、少し混乱しながら観ていた。
1980年代後半の、癌治療を想定しているのかな?
と考えてもみたが、それならもう少し闘病感があるだろうし、
予後不明のまま5年も経過するということは珍しかった時代になる。
おそらく、このようなことを考えること自体が愚問なのであろう。
とにかく、まず印象的だったのは、
劇場に入ってみると、舞台はどう見ても
ブルーシートが多用された掘っ立て小屋の集合のようなもので、
ホームレスのテント街か、スラム街といった様相だったことである。
そこになぜか、患者、医師、看護婦といった人たちが登場して
長期療養生活を巡るドラマが繰り広げられる。
しかし、そんな舞台を1時間以上見ていると、いつの間にか、
そこが療養所であるかのような気がしてくるから、
不思議なものである。
最後の最後になって、
ホームレス風の者が登場して、ホームレスらしく振舞うことで、
やっぱりここはホームレス街だったんだと思わされ、
そこで幕となる仕掛けであった。
そして、あっ、と思わされるのである。
劇中の患者達は皆、本当の居場所−家−を失った、
「ホームレス」であったのである。
それにしても、痛感したのは、
「愛がないなぁ…」ということであった。
男と女が触れ合うことで生じる潤いや葛藤はあっても、
お互いの限りある生を −限りがあるからこそ−
無条件に肯定する感情、愛。
その感情が決定的に欠けているからこそ、
その生が潰えるかもしれないときに、
どうしようもない孤独を抱えることになる。
療養所の患者達が愛されていないという面はもちろんであるが、
患者達もまた、愛することができなくなってしまっている。
あるいは、最初から誰かを本当に愛したことが
無かったのかもしれない…
それは、ホームレス問題の根底にもあることだし、
21世紀の日本全体が広く抱える根本的な問題点であるのかもしれない。
劇中に出てくる、
「風立ちぬ、いざ生きめやも」という文言を
ネットで検索してみると、色々と物議を醸す表現であることが判った。
その問題点を承知の上で、あえて、
こう呟いてみたい気がする夜更けである。
「いざ愛でめやも」
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プロフィール
HN: Andy the Soarer
都落ちし、忍びの里に蟄居して以来十余年。運命に導かれるようにして私に学びたいという生徒が次第に集まり、英語や数学等を懸命に教える日々をすごしている。最近、知る喜びを与え、学びたい気持ちを励まし、学びたいことを学ばせ、教えたいことを教えることが、実はこの国では「禁じられた遊び」にあたるのではないかと苦悩することがある。
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